当院スタッフが打ち明ける「自分が入院して初めてわかったこと」【老親・家族 在宅での看取り方】

【老親・家族 在宅での看取り方】#90

「入院しなくてもよいほど容体が落ち着いた」「寿命にあらがえないなら家族と一緒にいたい」「最期の時は自宅で好きなように過ごしたい」など、在宅医療を開始される理由は患者さんによってさまざまです。今回は、当院のスタッフのエピソードを紹介したいと思います。彼女は実際に入院を経験し、在宅医療の重要性を改めて感じたと話してくれました。

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私は20代。8センチ台の脳動静脈奇形があります。これは、脳の中で動脈と静脈が毛細血管を介さず直接つながり、とぐろを巻いたような塊となる血管の病気で、正常な血管に比べて破れやすく、20代の脳卒中の原因のひとつといわれています。

私の場合、てんかん発作をしばしば起こします。意識がある発作もありますが、ひどい時は2~3カ月に1回意識を失うことも。しかし、主治医には発作が起きるたびに救急車は呼ばなくてもよいと言われており、発作後は筋肉痛や倒れた際のぶつけた痛みはあるものの、ケロッと普段の生活に戻れます。意識がなくなったとしても、発作が起きた悲しみや恐怖は認識しているため、早く何事もなかったように生活したいものです。つまり病人らしく過ごすことも苦痛です。

先日起きた発作は人と一緒にいたこともあり、その人が驚いて救急車を呼んでくれ、救急搬送されました。運ばれた病院で再度意識を失い、大事をとって1泊入院。点滴をつないでもらい、サチュレーション(酸素飽和度)を測る機械を指先につけました。

転倒すると危険だからと車いすで移動、トイレに行くにもナースコールをしなければなりませんでした。手厚すぎる看護に感謝を感じると同時に申し訳なさも感じ、病人らしくしなければならない現実を直視したくありませんでした。

両親にも連絡が取れ、就寝しようとした時、自分がメークをしたままで、コンタクトをつけていたことに気が付きました。幸い、メーク落としと歯ブラシは持っていたため、コンタクトも外し、就寝態勢が整いました。ただ、常に看護師さんが付き添ってくれました。私たち患者のことを考えて見守ってくれているのは重々理解しているのですが、一方で「私はもう大丈夫なのに……」と息苦しさを感じました。

その時初めて、自宅で自分らしく過ごしたい患者さんの気持ちや、「私はもう大丈夫だから放っておいて!」と言って、在宅訪問を受けるのではなく、当院の外来に通うことにこだわった患者さん(2024年1月24日付の記事参照)の気持ちが理解できました。

繰り返しになりますが、必要と判断されたからやっていただいていることは理解しているんです。しかし、病人らしくしなければならない肩身の狭さや、サチュレーションの機械をすこし外すたびに無機質な警戒音が流れ、何かまずいことをしてしまったのではないかと緊張を感じることなどは、かえって疲れるものでした。

現実を直視できない私の弱さが病院嫌いになっているのでしょうか。必要ないと判断する勝手さは、かえって医療従事者に迷惑をかけてしまうのでしょうか。正解のないことだと思いますが、病気であっても自分らしくいたいものです。

(下山祐人/あけぼの診療所院長)

2024-04-24T00:30:07Z dg43tfdfdgfd