「実家を出たことが人生で一番幸せ」と思っていた私が家族と“和解”するまで【きょうだい児の弁護士】

とにかく実家を離れたいので留学へ

——本書には藤木さんの年表も載せていらっしゃいますが、子どもの頃から振り返ってお話しいただけますでしょうか。

弟との学年差は3つで、私が5歳のときに弟が聞こえないことがわかりました。それから父の期待は長男である弟から私へ移り、弁護士の跡を継ぐことを期待されるようになります。

弟とは一緒にゲームをするなど、仲は良かったものの、私が中学生の頃から色々あって、お互いにちょっとしたことでイライラすることが増えて。泣きながら殴り合ったり、ゲーム機を投げたりして、私も弟も1台ずつ壊した記憶です。当時は「こんな家にいたら、私はダメになる!」といつも泣き叫んでいました。

学校はそこそこ楽しんでいたのですが、埼玉から東京まで1時間半くらいかけて通っていて、遠かったのもあって、よく遅刻をしていました。中高一貫校だったので、そのまま高校に進学するのですが、高校1年生のときに、友人が交換留学が決まった話を5月頃に聞いて。

とにかく実家を離れたかったので「これだ!」と思って、慌てて動き始めて、結果的には友人と同じ9月に留学できることになりました。父は反対していたのですが、母は「この子はこの家にいたらダメになっちゃうから」と背中を押してくれて。当時の私は親にも強く当たっていたので、母からは「あなたにしてあげられることは、もうお金を出してあげることしかないから、自分のことは自分で切り拓いて」と言われたのも印象に残っています。留学したいと思ってからは一度も遅刻しなくなりました(笑)。

——留学してからは、いかがでしたか?

3年間アメリカで過ごして、その間、家族が来てくれたり、母だけで来てくれたりもして。母とはまだメールが普及していない頃だったのでFAXで、よくやり取りをしていました。

そのままアメリカで進学することも考えたのですが、英語の生活に少し疲れたのと日本の本やマンガ、ドラマなどが好きだったので、帰国生入試を利用して、1年遅れで大学に進学しました。

最初はできれば関東から離れた大学で一人暮らしをしたいと思ったのですが、「実家で一緒に住んでも大丈夫かも」という気がしたんです。でも結局父と衝突することが多く、一緒に暮らすのは無理だと思って、1年生の冬頃から実家の近くで一人暮らしを始めました。

留学を経験したことで「実家から離れて生活すること」が、自分の中でフラットな選択肢として存在するようになりました。寮生活ができる学校も調べてみたら意外と全国にあります。もちろん、経済的な事情には左右されるとは思うのですが、「実家から離れたい」という思いを叶える選択肢は色々とあることは、若いきょうだいの方々にも伝えたいし、一緒に考えたいです。

途中で方向転換してもいい

——本書では進路等の選択について「前に進むだけでなく、堂々と胸を張って後戻りしたり、方向転換していいと思います」と書かれていますが、藤木さんも途中で変更してきたのでしょうか?

そうですね。アメリカに留学した私が日本に帰ってきたうえに、東京大学の法学部に入ったので、父が私を弁護士にするためにやる気になってしまって、その様子にうんざりしちゃって。当時、東大には上野千鶴子先生がいらっしゃって、2年生のときにゼミ留学という形で上野ゼミに参加させてもらっていたんです。そういう経緯もあって、3年生から文学部に移ろうと思って、父とも揉めながら私は押し切ったのですが……文学部への転部が決まったらなんだか満足してしまって。結局は「弁護士の肩書きを持っていた方が得なのでは」と思って、1年留年して法学部に戻ることにしました。

就職時も、東京の大手事務所か父の事務所か迷ったのですが、そのときにはもう「きょうだい」という言葉とも出会っていて、活動も始めていました。結果、きょうだいや手話の活動もしながら、父の事務所で働くことに決めたのですが、1年目から父と喧嘩の日々で、なんとか頑張っていたものの、4年目で限界を感じて、休職をすることに。その後、手話通訳の専門学校へ行くことにしました。同時期に結婚して、埼玉から神奈川へ引っ越しもしています。

手話通訳の学校での一番の目的は、実は手話の勉強以上に、ろうや手話の世界で有名な活動をしている先生方から、きょうだいの活動をしていくための心構えやヒントを学ぶことでした。学校には2016年4月から2018年3月まで通っていましたが、私が手話通訳士を取ったのは2022年でした。正直、「手話のできる弁護士」として期待されるよりも、「きょうだいの弁護士」でありたいという葛藤がありました。なお、専門学校卒業後に、父の事務所から独立しています。

私自身、たくさん方向転換をしてきました。弁護士の人を見ても、会社を立ち上げたり、議員になったり、子育てのために一旦お休みしたりと、色々な選択をしている方がいます。だから「一度決めたら突き進まないと」と思わず、違和感を覚えたら立ち止まって考えて、道を変更してもいいと思います。

親亡きあとを見据えた私の今

——ご両親の高齢化を感じるようになり、悔いの残らないようにしたいことも、本書では書かれていました。

私はきょうだいの活動を通じて、自分の抱えてきた思いをだいぶ発散することができました。両親からは「そんなに悩んでいたのは知らなかった」って言われるようにもなって、複雑な気持ちを抱えながらも、私の活動を応援してくれて、関係が改善されてきています。

最近、私の父・母・弟に夫も交えて、5人で旅行に行ったのですが「あと何回行けるのだろう」とも考えて。家族旅行に行けること自体、恵まれているはずなのに、昔は全然楽しいと思えなかったのですが、今はせっかくの機会だから楽しもうと思えるようになりました。

私が共同運営者を務める「シブコト 障害者のきょうだい(兄弟姉妹)のためのサイト」で対談した方の話も印象に残っています。その方はきょうだいであるうえに、お母さんが精神障害で、お母さんが亡くなったときに「母のことは嫌いだったものの、親に愛されたかったし、愛したかった」というお話をしてくださいました。それまで私の中に「親を愛したい」という感情は全くなかったのですが、そのお話を聞いてから考えるようになって……。

また、その方が大嫌いだったお母様が亡くなった後、お母さんを許せるようになって、自分の心もスッキリして清らかになったともお話しされていて。私は、家族というか、特に父を嫌うことに膨大なエネルギーを使っていて、結婚した時に「実家を出れたことが人生で一番幸せ」と父に言い放って怒らせたくらいだったんです。それが当たり前だったので何も感じていなかったのですが、振り返ってみると、疲れている自分がいて、怒りのエネルギーがない方が楽なことに気づきました。加えて、私も両親も年をとったことによってエネルギーが減ってきて、衝突することも少なくなりました。

ただ、これは私が恵まれている部分があったり、たまたま家族との相性が良くてそう思えただけです。きょうだいの中には、親に本音を伝えたものの受け取ってもらえず、否定されてしまって傷付いた人もいます。相手のあることなので、きょうだいができることをしたとしても、良好な関係になるかはわかりません。だから他のきょうだいに和解を安易に勧めるつもりはありません。

自分がきょうだいの活動をしているのもあって、先輩方から聞いてきた経験を活かし、自分として納得のできる、親亡きあとを実践したいという思いもあります。ちなみに書籍に遺伝カウンセリングの話を載せていますが、私の経験談がベースです。私はすごく子どもが欲しかったというよりは、きょうだいの活動をする者として遺伝カウンセリングに興味があったので行ってみました。そうやって色々と経験したり、色々なことが起こってもいつか体験談として発信しようと思うことで救われている部分もあります。

——社会でヤングケアラー問題が取り上げられるようになってから、お父様の反応にも変化があったのですよね。

以前は「きょうだいの活動なんて、くだらないことをしていないで、障害者問題の方が重要」と父に言われていましたが、ヤングケアラー問題がメディアで注目され、政治としても取り上げられるようになってから変わりました。

一冊目の本『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』(岩波書店)も父が100冊ほど購入し、お世話になっている人に送ってくれました。その際に添えた父からの手紙に「和子の活動は、少子化や高齢化、教育、福祉など全ての問題を含んでいる活動だと思います」と書いていたので、かなり認識が変わったのだと思います。それでも父には「和子はヤングケアラーといっても、全然大したことのないレベルだよ」とは言われましたが(笑)。

子どもがきょうだいの活動をしていることって、親にとっては不名誉だと思うんです。実際に、子どもがきょうだいの活動をしていることを周囲に知られて「親の育て方が悪かった」と言われた親御さんの経験談を聞いたこともあります。私自身も、結婚を機に父の事務所を休職して埼玉から神奈川に引っ越すときに「お父さんがかわいそう」と言われることもありました。

親に反対されても、きょうだいの活動がしたいという思いが私の個性だから大事にしたいですし、「親に認められたい」と思いながら活動をしていたわけでもないですが、きょうだいの活動が大切なことだと理解して応援してくれるのは嬉しいですし、心強いのが正直なところです。

——本書は親の立場で手に取る方も多いと思います。メッセージをいただけますか?

親亡きあとについて、何から手をつけたらいいのかわからなくて動けなくなっている方もいると思うのですが、本書には、親亡きあとに向けて確認することのリストも掲載しています。実際、きょうだいの立場の方がお母さんに本を渡して、会話のきっかけにしているという声も届きました。

親になかなか本音を言えないきょうだいの方は多くて、溜め込んだ結果、突然爆発したり、家族と絶縁状態になった方の話も聞きます。親にとって、きょうだいの本音を聞くのが苦しい側面もあるとは思うのですが、話せる関係なのは良いことでもあります。まずは否定せずに受け止めてほしいです。それによって関係の悪化が避けられる可能性もあると思います。

※試し読みはこちらから

https://chuohoki.tameshiyo.me/9784824300126

【プロフィール】

藤木和子(ふじき・かずこ)

1982年生まれ。東京大学卒業。5歳の時に3歳下の弟の聴覚障がいがわかり「きょうだい」となる。幼少期から「弟と私は将来どうなるのだろう?」「私は実家や地元を出てよいのか?」などと悩む。2010年頃から「きょうだい会」に参加。先輩の体験談からヒントを得るとともに、きょうだい特有の悩みの幅広さと難しさを痛感したことから、きょうだいの立場の弁護士として発信や相談などの活動を始める。

 

※メディアとしての表記ルールの都合上、固有名詞を除き「障がい」と記しております。

 

雪代すみれ

フリーライター。企画・取材・執筆をしています。関心のあるジャンルは、ジェンダー/フェミニズム/女性のキャリアなど。趣味はヘルシオホットクックでの自炊。

2024-04-20T11:29:59Z dg43tfdfdgfd